2013年09月22日

九州陶芸の里を巡る旅(2)

旅のおきまり Joyfull でのんびり朝食。 わーい(嬉しい顔)

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本日、最初の観光、
秘窯の里として知られる
伊万里市大川内山の「大川内鍋島藩窯跡」へ。 わーい(嬉しい顔)

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まずは、「伊万里・有田 伝統産業会館」を見学。

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集落にある窯元を散策
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伊万里を後にし、南下して「有田」へ。 グッド(上向き矢印)

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有田駅で観光情報を入手し、
まずは、県立九州陶磁文化館を見学
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つぎに窯元 柿右衛門窯を見学
(当主:重要無形文化財保持者(人間国宝)
    十四代酒井田柿右衛門 2013年6月死去)

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有田陶磁の里プラザ(有田焼卸団地)
有田焼のショッピングモールで、お買い物。
お店の数25店(駐車場は800台収容) がく〜(落胆した顔)

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有田を出発し、つぎに向かったのは、
佐賀県 吉野ヶ里歴史公園。 グッド(上向き矢印)

平成元年(発掘調査は昭和61年開始)全国に報道された時、
小生も大学生ながら見学に行った。
当時は、まだ発掘調査中だったので、土器の破片が足元に見えていたが、
今はきれいに整備された公園になっている。 わーい(嬉しい顔)

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夕刻、吉野ヶ里を後にし、
今夜の寝る場所、阿蘇の道の駅へと向かった。

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■大川内山 
佐賀鍋島藩は1675年ごろ、大川内山に御用窯を築いた。
技術の粋を集め、将軍や諸大名への献上品「鍋島」を専門に製作。
陶技を外部に漏らさないよう役所や関所を設け、陶工たちを厳しく管理した。
現在は山水画のような奇岩に囲まれた狭い谷間の石畳に34の窯元が軒を連ねている。

■伊万里焼
有田(佐賀県有田町)を中心とする肥前国(現代の佐賀県および長崎県)で生産された磁器の総称。
製品の主な積み出し港が伊万里であったことから、消費地では「伊万里焼」と呼ばれた。
「有田焼」「伊万里焼」と呼び分けるようになったのは、近代以降、船に変わって鉄道が輸送の主力となってからのことである。(Wiki)

■有田焼
豊臣秀吉の朝鮮出兵の際、肥前の領主であった鍋島直茂が日本に連れて来た陶工の一人 李参平が、1616年(元和2年)(1604年説あり)に有田・泉山で磁器の原料となる陶石を発見し、日本初の白磁を焼いたとされている。

posted by M at 23:59| Comment(2) | 旅のすゝめ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
わさびを求めて旅へ→そば打ち体験をする→そば粉購入→そば打ち道具がないことをぼやく→妻あきらめる→そば打ち道具購入→器がないことに気づく→蕎麦猪口を求めて旅に出る→蕎麦猪口購入→妻あきれる
計画的に家族を洗脳し、新たな趣味を勝ち得たM君。さすがです。
Posted by 館長 at 2013年09月27日 15:08
館長 >>
 どうもです。
 計画は、まだまだ道半ば。
 あきれるのを通り越し、感心させるところまで、
 洗脳は続きます。 (^_-)
 
Posted by M at 2013年09月29日 19:55
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