富山県、飛騨山脈(北アルプス)の立山連峰にある剱岳(つるぎだけ)。
明治時代末期、日本地図の最後の空白を埋めるため
信念と勇気をもって困難な山岳測量に取り組んだ
陸軍参謀本部陸地測量部(現在の国土地理院)の男たちを描いている。
三角点の見方が変わります。
明確な記録に残る初登頂は測量官、柴崎芳太郎麾下の測量隊によるものである。
1907年7 月13日、測量隊の測夫・生田信らが長治郎雪渓ルートから本峰の登頂に成功した。
7 月28日には柴崎らが登頂を達成している。
この際の案内人は宇治長次郎であり、宇治は信仰心から登頂しなかったと推定する説が有力である。(これについては文書の記録がなく、「劒岳・点の記」執筆時の資料など伝聞記録があるのみである)
生田らによる最初の登頂の際、錆び付いた鉄剣と銅製の錫杖が発見された。古い焚き火跡もあったという。(Wikiより引用)